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【日時】
平成27年11月4日(水) 【参加人員】   48名(南地区・南東地区)

(観光コース)
旧松筑荘前乗車→西鉄都府楼前駅出発→めかりPA(休憩)→花燃ゆ大河ドラマ館→萩焼会館(昼食)松下村塾・松陰神社→伊藤博文旧宅→吉田松陰誕生地→村田蒲鉾店(おみやげ)→壇ノ浦PA(休憩)→西鉄都府楼前駅下車→旧松筑荘前着(750出発→1840帰途)

11月4日、参加者48名による恒例の南・南東地区合同の大河ドラマ萩めぐりを観光しました。
テレビで放映中の花燃ゆ大河ドラマ館では、激動の幕末を力強く生き抜いた主人公・文とゆかりの人物10人がアニメーションで登場し、自分の活躍ぶりやロケの風景・萩の歴史・名所などを紹介。その横には 旧萩藩校明倫館の門や49mプールが今でも残されている。松陰神社の中に入ると、松下村塾があり明治維新の原動力となった久坂玄瑞、伊藤博文ら多くの有名な逸材が学んだそうです。
ここから数分歩くと伊藤博文旧宅もあり、東京の大井宅を倒壊させその材料で再築されており当時の様子が偲ばれます。
近隣には吉田松陰誕生地・墓所があり、高台には吉田松陰・金子重輔の銅像が建ち、墓所には、吉田家と高杉晋作、吉田稔麿ら門下生の墓が並んでいました。 昨年の黒田官兵衛は戦国時代を生き残る策略派、今回の萩藩士はひとりの努力家が人を動かした正当派のように思えてきました。 
今回企画していただいた笠井、白石両幹事お疲れ様でした。次回も期待してま~す。 感謝・感謝(レポーター 丸山一人)
予定の8時に旧松筑荘前高速道下を出発、西鉄都府楼前駅に寄り、福岡ICより九州自動車道~中国自動車道・美祢東JCT経由して小郡萩道路~絵堂ICから萩市内へ
休憩のめかりパーキングエリアからの関門海峡を一望 山口県の特徴的な景色・茶色い瓦屋根の家と黄色いガードレール
萩市内到着後、萩花燃ゆ大河ドラマ館を見学
旧萩藩校明倫館を散策
幕末における長州藩の活躍に大きく貢献した藩校
萩藩校明倫館は、享保3年(1718)に5代藩主吉元が毛利家家臣の子弟教育のために萩城三の丸(堀内)に建てた藩校です。それから約130年後、嘉永2年(1849)に城下の中心地(現在地)へと移転、規模を拡大しました。敷地内には、旧明倫小学校本館(昭和10年に建てられた木造4階建ての校舎)があり、平成8年に国登録有形文化財に登録。
剣槍術場である
有備館水泳や水中騎馬の練習が行われた水練池、観徳門などが残っています。
明倫館南門で集合写真   クリックすると拡大します
萩焼会館で昼食後、午後からは松下村塾・松陰神社へ
 松下村塾は8畳一室、4畳半一室、3畳二室、土間一坪、中二階付きの木造瓦葺き平屋建ての50uほどの小舎です。松陰は安政4年(1857)から2年半の間、身分や階級にとらわれずに門下生を受け入れ教育しました。
松下村塾・松陰神社へ 吉田松陰辞世の句 松下村塾
黒船密航と言う国禁を犯した罪で投獄されていた松陰は、江戸から萩に送り返され野山獄で禁固となった後、実家の杉家で蟄居となる。 その時に、玉木文之進~久保五郎左衛門から引き継ぎ松下村塾を開く。ここで、明治維新の原動力となる多くの門下生が育ちました。
吉田松陰幽囚ノ旧宅
幽囚室は東側にある3畳半の一室
松陰神社 御本殿学問の神様ともいわれる吉田松陰は幼少の頃から英才の誉れが高かった松陰にあやかろうと、合格祈願に大勢の受験生が訪れます。
松下村塾での集合写真   クリックすると拡大します
伊藤博文旧宅を見学
木造茅葺き平屋建て、29坪の小さなもので、萩藩の中間水井武兵衛(のち伊藤直右衛門と改名)の居宅でしたが、安政元年(1854年)に博文の父林十蔵が一家をあげて伊藤家に入家し、ここに居住することになりました。国の史跡に指定。
伊藤博文別邸・東京品川より移築 玉木文之進の旧宅 最初の松下村塾である。 ここで松陰は叔父である玉木文之進から、厳しく武士の精神について教育を受けた。
吉田松陰誕生地と墓所を見学
松蔭誕生地
団子岩と呼ばれる風光明媚な所で、天保元年(1830年)に萩藩士杉百合之助の二男としてこの地に生まれ、本名は矩方、通称寅次郎と呼ばれていました。
山鹿流兵学師範として毛利家に仕えていた吉田家を6歳の時に継ぎ、19歳で一人前の兵学師範となりました。その後、さらなる兵学修行のため、九州平戸、続いて江戸、東北地方への遊学の途につき、海外情報に関する見聞を広めました。特に、佐久間象山に師事し、西洋砲術と蘭学を学ぶにつれてその欲求はますます高まり、海外情勢を直接に知るため、海外密航を計画しました。ペリーの来航を好機と考え、弟子金子重輔とともに安政元年(1854年)3月28日、伊豆下田沖に停泊中の旗艦ポーハタン号に乗り込み、海外密航を懇願しましたが拒否されました。その後、獄中生活を余儀なくされ、安政6年10月27日、小塚原の刑場に劇的な一生を終えました。
 
 建物の敷石と松陰産湯の井戸
松陰の墓の隣には、高杉晋作や久坂玄瑞などの門下生のお墓が建っていました
東行暢夫(高杉晋作)之墓 二十一回猛士(吉田松陰)墓
村田蒲鉾店で大量のお土産を購入
明倫小学校では、昭和56年(1981年)より、毎朝、朝の会の時に、松陰先生の言葉を声高らかに朗唱しているそうです。 めかりパーキングエリア関門海峡下関側の夕暮れ
萩観光の最後は村田蒲鉾店で買物をして帰路へ、バスの中ではガイドさんによるさらなる萩観光のおさらい、九州道では南蔵院住職の面白い話を聴いているといつのまにか西鉄都府楼前駅に到着。世話人の皆さんほんとにご苦労様でした。